西寒多神社(犬飼町)
神社仏閣
豊後大野市
〒879-7307 大分県豊後大野市犬飼町西寒田520
Googleマップ豊後の国大野郡にも西寒多神社がありますが、西寒多神社(大分市)と西寒田神社(臼杵市)とは、直接的な関係はないとされています。
豊後の国大野郡の西寒多神社は、応神天皇の御代に、大分市や臼杵市の西寒多神社から分霊を勧請して創建されたものと考えられています。
ただし、この説はあくまでも推測であり、確実な証拠は残されていません。
根拠となる文献や情報元は、以下のとおりです。
『日本書紀』応神天皇九年条
『豊後国風土記』
『宇佐神社由緒記』
『大分県神社誌』
これらの文献や情報元によると、大分市の西寒多神社は、応神天皇の御代(270~310)に、神功皇后が三韓征伐の帰途、西寒多山に行幸して創建したと伝えられています。
また、臼杵市の西寒多神社も、応神天皇の御代に、神功皇后が創建したと伝えられています。
一方、大野郡犬飼町の西寒多神社は、応神天皇の御代に、大分市や臼杵市の西寒多神社から分霊を勧請して創建されたものと考えられています。
この説は、大分県神社誌に記載されているものです。
したがって、大分市と臼杵市の西寒多神社は、応神天皇の御代に創建されたものであり、大野郡犬飼町の西寒多神社は、それらから分霊を勧請して創建されたものと考えられます。
格式については、大分市の西寒多神社が、豊後の国一宮として崇められてきた歴史があり、神階も高く、その格式は他の2社と比べて格段に高いと言えます。
そのため、大分市の西寒多神社が最も格式が高いと言えます。
ただし、臼杵市の西寒多神社も、宇佐神宮の別宮として創建された歴史もあり、その格式も決して低いものではありません。
どちらにせよ、西寒多神社(大分市)と西寒田神社(臼杵市)、そして犬飼町の西寒多神社、どれも歴史は深く、関係性もあり、それぞれ参拝する価値のあるものだと思います。
アクセス
JR豊肥本線犬飼駅から車で12分
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